2019/05/07.Tue. 15:15

禅のごとく自由な発想で問題解決を図る サスティナブル建築の牽引者 Vol.3

建築家

辻 純一 さん

1948年、秋田県秋田市育ち。県立秋田高校卒業後、1968年渡米。1969〜1972年、ワシントン大学建築学部(ミズリー州セントルイス)。1972〜1975年、コーネル大学建築学部(ニューヨーク州イサカ)修士課程卒業。1976〜1986年、SOMなど3つの設計事務所で研鑽。1992年からツジ マネジメント インク(ワシントン州シアトル)代表取締役、2000年〜、株式会社マキネスティコーヒー(東京都墨田区)代表取締役、2015年〜サステイナブル デザイン グループ(東京都墨田区)ディレクター、2017年〜株式会社アイジャスト(東京都墨田区)CEO
オフィス、ホテル、住居、医療施設、教育施設、リクリエーション施設など多数を設計、事業開発やマネジメントも行う。古典&民族建築理論を独自に研究、趣味は茶道藪内流。

http://tmiseattleusa.com/about-i-just-inc/

その3
民俗学と禅問答に鍛えられた大学時代
多様性を知り、問題解決の力を身に

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アメリカの大学で学んだ民俗学と多様性

なぜ、私が陰陽五行説まで知っているのかと言えば、アメリカの大学で勉強させられたからなんです。

大学の1・2年生で必修の民俗学の一貫でした。日本で言えば、柳田國男先生の世界です。
世界にはいろいろなモノの見方があることを学びます。
アンソロポロジー(人類学)、モダンアンソロポロジー(現代人類学)、エティックとエミックなどを基礎として学ばされます。
特にエティックとエミックという概念は重視されています。エティックとは外から見た世界、エミックは内から見た世界。見え方は一つではないということです。

心理学も必修で、いかに人の気持ちは操られるかを学びます。
つまり、アメリカは権力に対する怖れ、権力の言うことを鵜呑みにしないようにと大学で教えているわけです。

例えば、「銃を持つ自由」が憲法に詠われています。連邦政府が悪いことをする時がある。その時に銃を持って戦う自由を保障しています。いろいろな弊害はありますが、譲れないのです。その時が来たら、銃を持って立ち上がる、そのための憲法だからです。

建築を学ぶ前に、いろいろなモノの見方を教えられます。真実は人によって違うものだということを徹底して学ばされましたね。

アメリカの大学に入って、驚いたことにこんなことがありました。
歴史が必修だったので、東洋史ならごまかしがきくんじゃないないかと、東洋史をとりました。
ところが、いつも点数が悪いわけです。
先生に呼ばれて「どうして、点数が悪いかわかるか?」と聞かれました。
「英語がよくわからない。論文の書き方がわからない。まして文語調がわからない」と言い訳をすると、
「まあ、それもある。しかし、問題はそこではなくて、内容だ。あなたの回答は、文科省の考えのまま。ここで問うているのは、あなたの歴史観」と言われて、頭が真っ白になりました。
「え、歴史って別のものがあるの?」何を考えればよいのかもわからず、本当に驚きました。

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瓢箪からコマ、米遊学から建築の世界へ

秋田で高校にいる間、何者かになりたいという強い想いもないまま、詩作などをしていました。
そのうちに豊かなアメリカに興味を持つようになり、アメリカを見てみようと、いわゆる遊学をしました。

英語ができるわけでもないので、初めに英語学校に入りましたが、真面目に勉強しないので、「もう来なくてよいです」と追い出された後、イリノイ州の田舎に、各国から1人ずつ奨学生を受け入れている大学があると知り、潜り込みました。

流石にもう追い出されるわけにはいかないので、授業にだけは出席。先生からは、授業に必ず出席し、課題は好きなことを書いて“何か”提出さえすれば、単位を認めると言われていたので、課題が出るたびに、アルファベットを書きなぐって提出していました。

すると、ある時、学校から呼び出しがあり、あなたの作品が創作詩として認められ、全国の学生随筆詩集に3点の作品が入賞。いずれも、課題の代わりにアルファベットを書き連ねていたものが、作品として認められたと言うのですから青天の霹靂でした。

コーネル大学で受けた禅問答の洗礼

その後セントルイスのワシントン大学へ転校したのですが、ショッキングなほど面白い先生がいました。

私が入学する数年前まで丹下健三先生が教えていたような、建築では有名な大学です。
同級生は皆、鼻高々でした。そこにやってきたのが、今の私と同じくらいの老人。「単位を取るために避けては通れないが、怖い人だ」と言うウワサは聞いていましたが、その風貌には驚かされました。

そして、いきなり出された課題が「色紙と糊を買って、音を創りなさい」。
「明日までに課題を出せない者は、以後の授業には出なくていい」と、宣言されました。

全員が文具店に走って、色紙と糊を購入、そのまま、皆で徹夜しました。
自信満々だった同級生は全員、あまりに思いがけない課題にパニックでした。

ある時はカメラを使っての撮影が課題に。
ニコンの高性能カメラ(当時はアナログカメラです)を使って、フィルム指定、絞り指定、シャタースピードも指定された上で、「距離を撮ってきなさい」という課題でした。
「距離を撮るとは???」と、また全員で頭を悩ませました。

365日、こうした課題の連続でした。

よく行かされたのが、知的障害の子どもたちの施設です。一日、施設で過ごして、何を学んだかを述べなさいと言われました。

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耳の聞こえない人、口のきけない人としてデート

また、ある時は「今日は一日、目が見えない人として過ごしなさい」という課題が出ます。すると24時間、目隠しをして過ごすことになるわけです。
「耳が聞こえない人として過ごしなさい」「口をきけない人として過ごしなさい」という日もありました。

憧れていた同級生のユダヤ美人とデートがかなった日は、一日、耳が聞こえず、口をきけない日でした。お互いに耳が聞こえず、おしゃべりもできないまま、映画を観に行くことになりました。
東洋人の男とユダヤ人のカップルが、ガソリンスタンドで、道を尋ねるのも身振り手振り。
珍妙だったでしょうが、それでも映画館までの道を教えてもらえました。

とある大学の学生ホールで映画を上映しているというので、キャンパスに辿り着き、学生ホールの場所を、再び身振り手振りで尋ねると、「ここで待っていて。いい人を連れてくるから」と、連れてこられたのがホンモノの聾唖者でした。
もちろん、すぐにニセモノだということは見破られましたが、理由を伝えると、「いいね!いいね!」とハグされ、顔を触られ、「私の彼女も呼んでくる」とこちらもホンモノが来て、二人で大歓迎してくれました。「こんな体験をしてくれるなんて、うれしい」と。

人は皆、それぞれに違うことを身に沁みて知りなさいという授業でした。
実際に体験してみると、違うものが見えてくることを知りました。

一番怖かったのは、精神異常の凶悪犯を収容している施設の訪問でした。週に一度のボランティアで半強制的に行かされました。
若くてビクビクしている私たちは、恰好の餌食でした。いつ態度が豹変するかわからない、これは本当に怖かった。

一年間が終わってみると、同級生は皆、人間が変わっていました。それぞれ自分なりの見方を持った大人になっていましたね。

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