五感を駆使して「ヒットする」音楽に仕上げる マスタリング“名人”の技術と感性 Vol.1

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川﨑 洋 さん

川﨑 洋 さん

株式会社JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント ビクタースタジオFLAIR所属 マスタリングエンジニア
1960年、新潟県生まれ。1982年、日本ビクター株式会社カッティングセンターに入社し、アナログレコードのマスタリングエンジニア(カッティングエンジニア)としてスタート。1989年、ビクターエンタテインメント株式会社(現 株式会社JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)ビクタースタジオ FLAIRに移籍。マスタリングエンジニアとして現在に至る。

ビクタースタジオ

Vol.1(前編)

マスタリングとは音楽を商品として“カッコよく”仕上げる仕事

一般にはほとんど知る機会のないマスタリングについて教えてください。

音楽をデジタル配信やCDなどの商品にするには、レコーディング、トラックダウン、マスタリングという工程で行っています。ビクタースタジオにも、それぞれ専門のエンジニアがいます。

レコーディングでは、ポップスなどの場合、マルチチャンネル録音で楽器を一つひとつ別なトラックに録音します。たとえばドラムのキック、スネア、フロアタム、シンバルなどを別々に収録。TVなどでもドラムの周囲にいくつもマイクが立っているのを見ることがありますね。
そこにほかの楽器、コーラス、唄などを別チャンネルに録音していきます。

クラシックを、例えばホールで録音するとなると、ステレオのマイク(2本)を少し遠めから録音するとか、バイオリン、ヴィオラなど、いくつかのセクションごとにマイクを立ててマルチチャンネルで録音するなど、いろいろなアプローチの方法があります。

こうして収録した音源を使いトラックダウン作業に移ります。
マルチチャンネル録音したバラバラの音を楽器ごとの音量、音質のバランスを整えて2チャンネルにまとめる作業がトラックダウンです。出来上がった2チャンネルのステレオの音は今ではほとんどwavという形式のオーディオファイルで、ここマスタリングルーム持ち込まれます。

トラックダウンされた音源を部屋のスタジオモニタースピーカーで聴きながら、アナログ、デジタルとさまざまな機材を使って聴こえ方を調整していきます。

持ち込まれた曲を聞いて「これはもう完璧だから何もしなくていい」とか、「もう少しこうするとカッコよくなるね」という判断をして、10曲入りのアルバムなら10曲をそれぞれ調整。指定の順番に並べ、1つの商品として完成形のマスターファイルを作るまでを担当します。

CDなどフィジカル商品(Blu-rey、DVD)は、ここから工場へマスターファイルをインターネット経由で届け、工場で製品にするという流れです。

マスタリングは仕上げ作業ですね?

マスタリングの段階では、アーティスト本人やディレクター、プロデューサーもこの部屋へ来て、私の提案に対して一緒に判断をしています。

まず最初に楽曲を聴いて「声がもっと前に出た方がいいな」など、自分のイメージに従って調整をして提案します。アーティストやディレクターがそれに対して、「OK」とか「いやいや、そんなに歌が出なくてもいいよ」と答えれば、「じゃあ、こんな感じ?」と再調整。OKになれば次の曲へ進みます。

またOKの判断には一般的なコンポのような小さいスピーカーでも聴きます。リスナーの誰もがスタジオにあるような大型スピーカーで聴くわけではないので、大切な作業です。
ビクタースタジオではJVCケンウッドのウッドコーンシリーズのコンポを使っています。日本のスタジオでは導入率No.1です。

全曲のマスタリングが終わると、曲順に並べて曲間を決めます。
それもまずはこちらから提案をして、「もう少し短くしてください」とか「もう少し長く」とかアーティストやプロデューサーからオーダーがあれば、さらに調整します。

マスタリングで追求していることは何ですか?

音楽として“カッコいい”こと。自己満足ではなく、商品として世の中に出す以上、「このぐらいカッコよくないと!」という自分なりの基準を持っています。

入社当時はアナログの時代。
その頃目標としたマスタリングエンジニアには、社内の先輩エンジニアはもちろんですが、海外ではロサンゼルスのバーニー・グランドマンとニューヨークのテッド・ジャンセンがいます。
入社した頃、ジャンルを問わず好きなレコードを見ると、この2人の存在率がすごく高かったんですね。よくよく見ると、ビクターが発売していた洋楽レコードでジャズ・フュージョン系の僕の好きなアーティストも担当していることがわかりました。
2人のマスタリングを“カッコいい”と感じていたってことですね。

カッコよさのさらなる追求には、技術の目覚ましい進歩は外せません。例えば戦闘機に搭載するレーダーを開発しているような企業が音響機器の製作にも参入しています。今となっては当たり前になっている技術でも、新しい機器が出てきた時には「こんなことができちゃうんだ」と感動したものです。

今は、アナログ時代からあるイコライザやリミッター等を使いつつ、最新技術を使ったデジタル機器も併用して、音作りをしています。かつては「こうしたい」という思いがあっても、無理だったことがほぼ思い通りにできる状況にまでなりました。

ハイレゾになると音が良くなるとは?

ハイレゾになって音が良くなったのではなくて、自然界の音がもともと超ハイレゾなんです。周波数特性が途切れていない、音域が無限にある状態です。

CDが新しいメディアとして出てきて、音をデジタルにする際に、周波数はここからここまでと区切られたフォーマットができました。
CDの音はそれまでのアナログの音質に比べて、悩んでいたノイズが無くなったり、明瞭度も上がったり、良いことも多かったのですが、切りそがれた必要無いであろうと思われていた音(周波数)が自然界にはあります。それでは自然な音とは違うのではないかという疑問が提示され、同時にデジタルメディアの保存容量がどんどん大きくなって、より自然な音に近い状態で録音、音作りができるようになりました。
CDの音とハイレゾの音の違いといえば、シンバルの音などは違いが分かりやすいですね。

ハイレゾに関わらず、よく「良い音にするにはどうするんですか?」と質問されます。
今は“打ち込み”と言われる素材、ドラムのタムだったり、ハイハットだったり、ベースだったり、音の一つひとつがPCの中にあるので、それを組み合わせて演奏とすることもできます。それが良い音なのか、ジャズやフュージョンのような楽器の鳴り方が良い音なのか、ナマ音が良いのか…。良い・悪いについては好き嫌いやいろんな制約があるので何とも言えません。
ただ、良い音ではないですが、“ローファイ”と言われるジャキジャキしていたり、モコモコしているような音素材を組み立てることで、カッコいい音楽にすることはできます。