世界にわずか600人ほどの調香師の中で 独自に香りの可能性を追究する“発明家” Vol.1
クリストフ・ラウダミエル さん
調香師
1969年、フランスのクレルモンフェラン生まれ。1986年、フランス国内の高校生を対象とした化学オリンピックで優勝し、ストラスブール(仏)の化学専門欧州高等研究所を卒業。マサチューセッツ工科大学、ハーバード大学を経て、日本企業にインターンとして来日していた時期も。香りと出会い、調香師の道へ。ラルフローレン、トム フォード、ビヨンセ、トミー ヒルフィガー、マイケル・コースなど世界に名だたるブランドの香りを創造。革新的なラボ「DreamAir」の創立者で、グッケンハイム美術館の香りのオペラ演出や、ベストセラー書籍をもとにした映画『パフューム ある人殺しの物語』の調香も担当。
2017年には、ロサンゼルスで初開催されたインスティチュート・アート&オイルファクション・アワードで「Exceptional Contribution to Scent Culture(香り文化への多大なる貢献賞)」を受賞。生物物理学者で“匂いの帝王”とも呼ばれるルカ・トゥリンに「彼は現代で最も優れた香りの発明家である」と言わしめた。
Vol.1(前編)
世界中を見渡してもわずか600人
知られざる調香師のアートな世界
調香師(パフューマー)とは、一般にあまり知られていませんが、どのような仕事なのですか?
調香師の仕事は、例えて言えば、作曲家が音楽を創るようなものです。
ピアノには88のキーがあり、ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ、ドを音符で表し、それを弾くことができます。また、ピアノ、サックス、ドラムなど、さまざまな楽器もあります。
作曲家は音を構成して、作品を創り出し、楽器で音を奏でることで、脳に音楽を届けます。
楽器が音楽を脳に届けてくれる、それが音楽です。
ピアノに88のキーがあるのに対して、調香には1500ほどのノートがあります。
ノートとは小さなボトルに入った単品香料です。
私のラボにもおよそ1500の香料があり、それを自在に組み合わせて「香り」という作品を創っています。
私のように「嗅覚アートolfactory art」や「空気彫刻air sculpture」を手掛ける調香師にとって、「楽器」にあたるのが「セントプレイヤー」または「ディフューザー」と呼ばれる香りの拡散機です。
キャンドルや、肌につける香水を創る場合もあります。
香水の場合は、人間の肌と体温が香りを鼻へと運ぶ「楽器」の役割を果たします。
どんな場合でも、空間に香りを届けるには「何か」の手段が必要です。
空間にビジュアルを届ける際には、レーザーやプロジェクターが介在するように、調香師が香りを空気中に届けるそのためには、さまざまな「楽器」が介在するということです。
1500もの香料を、どのように組み合わせるのですか?
調香師は、約1500の素材から香りを構成するわけですが、それぞれの量を正確に測り、大変細かい成分表を作っていきます。
この成分表が、調香師にとっての「楽譜」のようなものです。
例えば一つのテーマがあるとして、まず原料を選び、正確な量を割り当てていき、微調整を繰り返しながら作品を完成させていく。それが調香師の仕事です。
これが私にとっての「詩」にあたります。
量は、コンマ4桁まで計ります。とても正確です。例えば、0.25と書かれているのは、1%の0.25なので、正確には0.0025%です。0.1%の場合もあり、そうなるとコンマから4、5桁後ろまで読まなくてはなりません。
調香は料理に似ていると言われるのですが、私はまったく似ていると思いません。
料理は、まだアートのレベルに到達していないと思います。ベーシックすぎて。
調香は単位があまりに細かいので、詩を書いたり、音楽を創ったりするよりも、ずっと正確で複雑な作業なのです。
調香は、化学であり、アートなのですね。
他分野のアーティストにヤキモチを焼かれるかもしれませんが、調香師のアートが最も難しいと言われています。
香道が茶道よりも難しいと言われているように。
日本人に教えてもらったのですが、香道のセレモニーは大変複雑で難しいため、そう頻繁に行われないそうです。
調香も同じで、詩を書く以上に香りを生み出すことは難しく、専門知識が必要です。
もちろん素敵な詩が書けるようになるまで、何年もの修行が必要ですが、香りの分野はあまりにパラメーター(=媒介変数)や言葉(=素材)が多いのです。
そう、材料が大変多いことと、100%から0.00001%までの値から決めなくてはならないこと以外に、もうひとつ複雑なことがあります。
よく見落とされるのですが、ひとつの原料を使うとき、例えばナツメグとすると、そのナツメグに何を合わせるかによって香りが変わります。
ピアノの場合は、前の音が「レ」とか「ミ」でも、「ド」は「ド」で変わらないのですが、香料の場合、他の原料との相互作用のようなものがあって、どの原料を合わせるかにより、香りが変わってしまいます。
例えばこのナツメグまたはバニラは、合わせる原料によって違う香りを放ちます。
弾こうとしているピアノがそこら中を動いているみたいな感覚です。どのような音が生まれるかが読めません。そこが大変複雑な要素ですね。
ですから、調香は、料理よりもずっとアーティスティックなのです。
創り出した香りは身につけることもできます。
香りの可能性については、どのように考えていますか?
私たち調香師は、とても抽象的なものを生み出しています。または、とても古いもの。あるいは自然界には存在しないものです。曲や文章のように。
料理の場合は、原料が自然のものなので、まったく新しい「感情」は生まれません。
しかし、調香師は、現実には存在しないような感情なども表現できます。
空間の香りとなるとさらに可能性が広がります。
本で言うと、別の「章」と捉えられるでしょう。香水として身につけることはなくても、インテリアとして効果的な香りがたくさんあります。
空間の香りは、香水やシャンプーよりも大きな可能性を持っています。
その可能性を、多くの人は想像できないかもしれません。
多くの人は、香りと言うと、洗剤やシャンプーなど、店に並んでいるものをイメージするのですが、空気を使ってもっとたくさんのことができます。
科学的には「olfactory space嗅覚空間」を拡大する、と言います。
嗅覚空間を拡大することは、脳に効果をもたらします。
ブランドが「olfactory space嗅覚空間」を活用すれば、ホテルや店を訪れる人々の感情により確実に伝わるので、良い効果を生むことができます。
空間の香りは、他の香りと比べてどのようなことが可能ですか?
特定の香りを考えてみましょう。例えば、原料でいうとシトラス系のもの。
肌につけるとシトラスはすぐに蒸発してしまうので、香水を創る場合はシトラス以外の香りを混ぜなければなりません。
しかし、シトラス果樹園の香り以外のものを混ぜると、自然な香りではなくなります。
また、キャンドルでは、シトラスのノートは燃えてしまいます。
シトラスを好きな人は多いのですが、創り上げるのが難しい香りの例です。
生地を例にしましょう。
インテリアには使っても、同じ素材でドレスは作らないという生地がありますね。
部屋のインテリアに、とても「うるさい」柄、例えばバナナ柄の生地を使うとしても、バナナの香りは身につけたくないですよね。
空間なら、けばけばしいほどに派手なキッチュなバナナの生地は使えるとしても…です。
香りの中にも「遊び」のあるものや深みのあるもの、「汚れ」と言うとちょっと変ですが、そのような香りもあります。そういうところは生地に似ています。
また例えば、木の香りは空間では心地よいですよね、ヒバなど。
でもそれを身につけるとなると、ドライで直接的すぎます。
私たちは本物の木を持って歩いたりしません。でも空気中に放つ香りとしては、とても良いのです。
セントプレイヤー(ディフューザー)が素晴らしいのは、繊細な香りもフレッシュなまま出せることです。
キャンドルの場合、繊細な香りは焼けてしまうので、強い原料しか使えません。
パフュームにすると、5分も経てば蒸発してしまいます。
シトラスのような軽くてみずみずしい香りは長く持ちません。肌に残る香りはとても限られます。
ところが、セントプレイヤー(ディフューザー)を使うと、常にフレッシュで繊細な香りを出し続けることが可能です。とても高性能なのです。
多くの原料は、1時間ほどで香りが消えてしまいますが、これに対してもセントプレイヤー(ディフューザー)では、香りを放ち続けることができるので、有効な手段です。
空間に特化した調香師はあまりいないのですか?
香水の調香師で、空間の香りを作っている人は少ないですね。
なぜこうも少ないのか不思議なほどに。
私は空間に香りを出すことはとても面白いと思います。クオリティの高い香りを空間に出せることに、大いに可能性を感じています。
全世界を見渡しても、調香師として知られている人は600人ほどしかいません。
このうち、香水という分野で、名だたる企業やブランドと、グローバル規模のプロジェクトの実績がある調香師は、恐らく30人から50人ほどでしょう。
世界中で600人とは、建築家や音楽家と比べてみると、圧倒的に少ない数です。
世界的に著名なファインフレグランス調香師は、なかなか空間の香りに手を出しません。
技術面の知識がないから、ということもあります。
また、セントプレイヤー(ディフューザー)用の香りは、アルコールで希釈して瓶詰めにする香水と違って、使用する分量がとても少ないのです。
エスティローダーやラルフローレンの香水を作る場合、10トンほどのフレグランスが必要ですが、東京タワーの場合は、3年分で10リットルです。
調香師には、もともとの嗅覚がよいなどの才能が必要ですか?
そういう意味でも音楽と似ています。
音楽家は「耳がいい」と言われますが、それは必ずしも5km先の音を聞き分けることができる、という意味ではありませんよね。
私は、他の人よりも嗅覚が優れているというわけではないと思います。
ただ、いろいろなことに気づきます。
音楽家が、耳にした音に対して、こうすればいいのにというようなアイディアやインスピレーションを持っているように、私は自分が嗅いでいる匂いをどうすれば、よりよい香りにできるかがわかります。
わかるようになるには練習が必要です。
音楽や美術と同じで、中には、人よりも長けている人もいますけれど。
絵描きは一般人よりも「目がいい」わけではありません。遠くまで見えることが絵描きの条件ではないですよね。
でも、絵描きは何かを見たときに、その意味するところを説明できたり、一般の人が気付かないことに気づいたりすることがあります。
「どうして見逃していたんだろう?」と私たちが思うようなことを。
私の場合は、例えば茶席で香りを嗅ぐことで、「そういうことか!」と、作法の意味に思い至った体験もあります。
犬のように鋭い嗅覚を持っているわけではないですが、匂いに対して何が創れるかといったようなことに気づくのです。
人よりも鼻がいいわけでも、目がいいわけでもありません。
英語では「見る目がある」「いい鼻を持っている」と表現しますが、人より鼻が利くわけではなく、ただ気づくのです。
香りの説明ができるし、要素が多過ぎる、少な過ぎるなどがわかります。
ニュアンスの世界ですね。
どうしてこの仕事に就こうと思ったのですか? 香りに思い入れがありましたか?
私にとっては偶然でした。化学の勉強から始めて、日本のメーカーでインターンもしました。それが1990年の話。1993年に別の企業で、フレーバリスト、食品香料のインターンをしていた時にアロマに興味を持ち、そこから調香師の道を歩み始めました。
調香師の話を聞く機会があり、師匠との出会いもありました。
子どもの頃には気づいていなかったのですが、「食」に関しては感覚が鍛えられていたと思います。家では常に、フレッシュな食材で調理されたものを食べていました。
両親が頻繁に森へ連れて行ってくれて、狩猟もよくしました。
さまざまな香りに出会っていますし、食べ物に対するクオリティの基準は小さい頃から養っていたのだと思います。
家族でニューカレドニアに4年間住んでいたこともあるので、エキゾチックな植物や匂いに対する経験が豊富だったとも言えます。
社会人になってファストフードも知りましたが、とても食べられません。
化学の世界に入って調香師の道に出会った時に、自分が学んでいることが、子どもの頃から培ってきた感性とリンクしたということはあると思います。