生物と共にきる有機農業を支える「生物多様性戦略」-千葉県いすみ市-
千葉県の南東部に位置するいすみ市は、2005年に旧夷隅町と旧大原町、旧岬町の3町が合併して誕生。人口は約37200人(2020年11月)、自然豊かで温暖な気候のため、「住みたい田舎」のベストランキングで5年連続NO.1を獲得するなど、人気の高い地域です。
いすみ市は2017年に学校給食を100%地元の有機米で提供し始め、さらに注目の的に。未来ある子供たちの食を大切にするとともに、米農家の将来を守る仕組みづくりから生まれたアイデアは、素晴らしい成果を収めました。農地のほとんどが水田のいすみ市ですが、2008年時には市場向けの有機米を栽培する米農家は皆無だったそう。有機米への転換を市の取り組みとしたことで、多くの生産者の方から協力を得られたということです。いすみ市は行政の基本方針に「生物多様性戦略」を掲げ、地域に生きる生物と共生していく暮らし方を推進しています。
今回は、「房総野生生物研究所」代表で、「NPO法人いすみライフスタイル研究所」理事でもある手塚幸夫さんに、いすみ市の掲げる「生物多様性戦略」と、有機米の給食導入についてお話を伺いました。
まず、いすみ市が掲げる「生物多様性戦略」とはどのようにできたのでしょう。
「“いすみの自然を保護していきたい”という想いを、長年持ち続けていました。そのためには、人間のみの力ではなく、虫をはじめとする生物との共存が絶対的に必要だと発信していたのです。そんな中、2007年に、国は第三次生物多様性国家戦略を策定し、生物多様性の概念を社会に浸透させて人と自然との関係を見直そうと呼びかけました。
この方針に当時の千葉県知事が素早く反応、「生物多様性ちば県戦略」を策定します。そして、いすみ市はそのモデル地区として手を上げることになります。2012年には「自然と共生する里づくり」を開始。その過程では、豊かな自然の中で、コウノトリ飼育をできないかなど様々な検討をしましたが実現は難しかった。そのため、最終的にはコウノトリが立ち寄ってくれる水田を目指すことになりました。
そして、ついに2014年にモデル水田にコウノトリが降り立ち、2015年「いすみの生物多様性戦略」を掲げることとなったのです。市全体として、生物と共生する方向に進んでいくということが決まり、有機農業を推進するという方針も明確になりました。行政の決定という点がとてもよかったと思います」
他の地域でも、生産者が有機農業へ転換している動きはありますが、いすみ市独自の活動というのはどんなところでしょうか。
「とにかく、ゼロから行政がリードしたということでしょう。地元には、すでに有機栽培をしている小規模の農家や自給型の農家がいくつかありました。でも、その方々に頼ることをしませんでした。従来の慣行農家を離農させることなく、有機へ転換する仕組みを確立し、まずは両方の農法をサポートすることでスタートさせました。この地域の自然と生物、そして米農家を守るための施策だったのです」
さて、給食を有機米100%にしたことで、一躍有名になったいすみ市ですが、どのように実現しましたか。
「実は農薬と化学肥料を使わず稲作を始めた2012年は失敗に終わりました。やはり、そんなに簡単なものではないということを実感し、民間稲作研究所の稲葉光圀先生に指導を仰ごうとしますが良い返事はもらえませんでした。そこで、担当職員の鮫田さんと一緒に市長が稲葉先生の自宅に足を運び直訴したのです。その行動があってこそ、有機稲作へのスタートラインに立ったといっても過言ではありません。
その後、有機稲作は順調に広がり、一つの区切りとして稲葉先生の講演会が開かれました。私が司会を担当していたので、その時の記憶はとても鮮明に残っています。その講演会には市長も参加していました。講演後の質疑応答の際に、参加者の方が、『その有機米をぜひ子供たちに食べさせたいです』との発言が上がったのです。すると、市長が『いいですね、ぜひそうしましょう』と。
私は、耳を疑いました。さらに続く「導入するのであれば100%にしてください」という発言にも「そうしましょうと」と答えたのです。トップの敏速な意思決定に素直に感動した思い出があります。
明確な目標ができるとスピードは増しますよね。いすみ市農林課が研修会の企画から集荷までを担ったことも大きかったですね。2017年度には参加する農家も20戸を超え、秋には学校給食米の全量有機化を達成します。この間、いすみ市のブランド米として「いすみっこ(R)」というネーミングが誕生、JALのファーストクラスでも使用されるなど、認知度もどんどんとあがっていきました。
有機栽培をはじめることの魅力ってなんでしょうか。
「個人的には27年前から有機稲作に取り組んでいます。いすみ市の有機米生産の取り組みとしては2012年からなので、10年になりますかね。環境保全の観点からも里山の生物多様性を守るためには、生き物が生息しやすい農業の方がいい。であれば、農薬や化学肥料を使用しない水田の方が圧倒的に優しいですよね。しかも、おいしいとなれば一石二鳥。あとは、米農家の将来を考えても、価格競争ではなく、ブランド米として流通させることが、農業を長く続けられる秘訣だと考えています」
でも、栽培条件もいろいろたいへんなんですよね。
「例えば雑草対策。基本的には代かきの回数と田植え後の深水管理によって雑草の生育を抑えます。ですが『ジャンボタニシ』が生息する田んぼでは農法が一変します。ジャンボタニシに雑草を食べてもらうという方法です。しかしながら、管理の仕方を間違うと稲が食べられてしまいます。
有機稲作では、水位の調節だったり、耕耘の仕方だったり、それらの采配がとても重要なんです。除草剤や殺虫剤・殺菌剤を使わないことで、微生物から私たち(哺乳類)まで、多様な生物が繋がり合うのです。地域の農業のありようが里山の生物多様性に大きく影響しているのです。」
手塚さんが理想とする、いすみ市の未来の農業モデルをおしえてください。
「そうですね、若手農業従事者の25%、4人に1人くらいが有機農業に関心を持ってくれたら大きく変わるように思います。有機農産品が特別ものではなくなり、価格も買い求めやすくなると思われます。生き物たちと一緒に育まれ、手をかけて作られた野菜やお米は間違いなく美味しいです。
給食から始まったいすみ市の農業従事者の意識変化が、住民の食の意識変化に繋がることも願っています。そんな願いを込めて、2020年12月に『いすみや』というオーガニック専門店をオープンいたしました。ここでは、有機栽培を中心とした食品・食材を扱っています。ほんの少し食材に意識を傾けることで、日々の食事が豊かになることを提案し続けていこうと思っています」
いすみや店舗情報
営業時間:10時30分~17時30分
住所:千葉県いすみ市岬町長者475
アクセス:JR外房線長者町より徒歩6分
TEL:07043326135
メール:isumiya1212@gmail.com